前回のブログ『「表現の不自由展・その後」について考える①』を踏まえて、さらに考察を進めていきたいと思います。
1.「表現の不自由展」は国家から表現の自由
を侵害、もしくは制限されたのか
2.「表現の不自由展」は自由を濫用したのか
3.「表現の不自由展」は公共の福祉に反した
のか
1.に関しては、講義電話が1000件ほどあり、中には脅迫やテロ紛いの内容もあった為、主催者が市民に危害が及ばないよう中止した。つまりこの時点では愛知県側が事前に展示物を検閲した上で開催を自粛するよう求めた訳ではない為「表現の自由」を侵害したとはいえない。
むしろ、中止の経緯は、一般市民による3.「公共の福祉に反する」2.「展示会側の自由の濫用」という抗議の声が大きく、その中で一部過激な脅迫があったことから、中止に至った。
では、表現の不自由展に展示されていた「慰安婦少女像」や「昭和天皇の写真を燃やす映像」を展示することは、「自由の濫用」に当たるのか、もしくは「公共の福祉」に反しているのか?
「昭和天皇の写真を燃やす映像」についていうと製作者である大浦信之氏の説明によれば、もともとは「遠近を超えて」という題の自画像であり「昭和天皇の写真をコラージュ画像の一部として使用し、日本人としての普遍的な自画像を見いだそうと試みた作品」であるとのこと。
そして、そもそもの経緯は
昭和61年の富山県立近代美術館に大浦氏が「遠近を超えて」を展示後、不快との抗議を受け、非公開に。その後同館は作品は売却し、図録(作品の写真や、その解説が載っている展示会カタログ)を焼却した。
つまり、大浦信之氏が意図的に天皇の写真を燃やしたのではなく、自分の意図に反して図録を燃やされたという経緯を全てひっくるめて、ひとつの映像作品として今回の展示会に出品したのが真相である。
なので、正確には「昭和天皇の写真が載っている(遠近を超えて)が抗議を受けた為に心ならずも非公開になり、さらに自身の作品が収録されている図録も燃やされてしまったという経緯をひとつの映像作品にした」ということだと思われます。
そして実際にユーチューブで公開されている問題の動画を見ると、「昭和天皇の写真がガスバーナーで焼かれ、灰を足で踏む」という一連の行為が映像となっています。
この映像を作成した経緯を公平にみるとすれば
大浦氏の「遠近を超えて」が非公開にされたこと、図録を燃やされたこと、そして昭和天皇に対しての何かしらの感情が、すべてないまぜになった映像作品と見てよいと思います。
大浦氏自身の天皇観みたいなのが、調べても今ひとつわからないので、決め付けた言い方は控えたいが、「燃やした」のではなく「燃やされた」ということなのだろうけれども、結果的には「天皇の写真をガスバーナーで意図的に燃やしている」映像作品を出品してしまったことは、他の人から誤解をされても、致し方ない面もあるかもしれない。
そして特に擁護するわけではないが、天皇の写真を使用してコラージュした「遠近を超えて」の自画像には宗教的には理解できる面もあるのである。
なぜなら、仏教徒であれば、自分の自画像を描く際に、自分は釈尊の弟子であり、釈尊と一体であると信じれば、芸術的な一表現として、自分の自画像に釈尊の画像を描きこむことは十分考えられるからである。
もちろんその逆として、自分の嫌いな人物であるにもかかわらず、自分の自画像にその嫌いな人物を描きこむこともありえると思う。例えば、子供の頃にいじめられて、それが大人になってもトラウマになっていて、それが自分の自画像にいじめた子を描きこむことはあり得るだろう。
大浦氏の自画像がどちらのパターンか判然としない。そして私自身の大浦氏とその作品については充分に理解しているとはいえないので、今回のこのブログでは大きく取り上げないこととします。
また、他の多くの作品についてもやはり同じ理由で、言及するのは控えておきます。
なので今回のブログでは、元慰安婦を象徴する像としての「平和の少女像」に焦点を絞って論じていきたいと思います。
以下、「平和の少女像=慰安婦像」についてWikipediaより転載します。
『慰安婦像(いあんふぞう)とは、主に大韓民国に多数設置されている旧日本軍の慰安婦を模したとされる銅像である。慰安婦問題への抗議のため韓国の団体が日本大使館前に設置したのを皮切りに、韓国内に多数設置されている。韓国以外では、韓国系や中国系住民が多い地域を中心にそれらの団体や勢力がアメリカ、カナダ、オーストラリア、ドイツ、などにも設置しているほか、中国や台湾にも設置されている。特に韓国の日本大使館前や総領事館前の慰安婦像は日韓の間で外交問題に発展している。』
そして、平和の少女像の元々の問題である
「日本の従軍慰安婦問題」についてWikipediaより転載します。
『日本の慰安婦問題(にほんのいあんふもんだい)は、旧日本軍の慰安婦に対する日本の国家責任の有無に関する問題。慰安婦問題にはさまざまな認識の差異や論点があり、日本・大韓民国・アメリカ合衆国・国際連合などで1980年代ころから議論となっている。慰安婦は当時合法とされた公娼であり民間業者により報酬が支払われていたこと、斡旋業者が新聞広告などで広く募集をし内地の日本人女性をも慰安婦として採用していたことなどから国家責任はないとの主張がある一方、一般女性が慰安婦として官憲や軍隊により強制連行された[1]性奴隷であるとの主張もある[2]。』
以上「日本の従軍慰安婦問題」と「慰安婦像」の概要を踏まえた上で、慰安婦像の展示は「自由の濫用」もしくは「公共の福祉」に反するのかを考察していこうと思います。
③に続きます。