崖っぷち日本のユートピア社会学by大山昇悟

崖っぷちに立っている日本をどうしたらユートピア(理想郷)にできるか日々考え答えを探していくブログです

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「表現の不自由展・その後」について考える④

前回のブログ③からの続きです。

 

従軍慰安婦問題については、以下の3点に絞って述べてみたいと思います。

 

1.慰安婦の強制連行はあったのか

 

2.彼女たちは性奴隷だったのか

 

3.慰安所は軍属であり、軍の完全統制下にあったのか

 

まず、慰安婦の強制連行はあったのか、それともなかったのか?

それについて述べる前に、「強制連行」の定義をネットのコトバンクで調べてみました。

 

強制きょうせい

一般に,力や圧力による脅迫あるいはその誇示や実際の行使を媒介として,一定の決定や行動を個人ないし集団に強いることをさす』

 


連行れんこう

(スル)本人の意思にかかわらず、連れて行くこと。』

 

以上を踏まえた上で、慰安婦強制連行はあったのかを述べたいと思うのですが、その前に

私自身の見解をはっきりさせたいと思います。

 

私自身は1990年代からこの問題に注目はしており、折々に勉強はしていました。

 

そして到達した結論としては、

 

「強制連行と誤解される出来事は部分的にはあったかもしれないが、全体としてはそのようなことはなかったと考える。

 

また、性奴隷についても、一部そう捉えられても仕方ない面もあったかに見えるものの、やはり全体としては「奴隷」という言葉で表現される性質のものではなかったと考える。

 

そして慰安所は軍属ではなく、部分的な管理はあったが100%完全な統制下にあったとは思えない」

 

以上の結論をいくつかの文献を参考にしながら、述べていきたいと思います。

 

『ひと目でわかる従軍慰安婦の真実』

水間政憲

 

以下水間氏の著書からの引用です。

「筆者(水間氏)は、1915年から1945年8月まで、朝鮮半島で発行していた『朝日新聞・朝鮮版』をすべて通読しましたが、報道されていた奴隷狩り(拉致・誘拐)の犯人は、すべて朝鮮人の犯罪だったのです。

 

東亜日報』の記事でも朝鮮半島における拉致・誘拐犯は、朝鮮人の犯罪として報道していました。(中略)元朝鮮人慰安婦だったと称する女性たちの、裏付けもないまま日本軍人や日本人警察官に強制連行されたとの証言は、朝鮮人の犯罪が日本人にすり替えられている可能性を否定できないのです。」

 

さらに同書には、1992年にソウル大学の教授によって元朝鮮人慰安婦40名の聞き取り調査をした結果について書いてあります。

 

元朝鮮人慰安婦40名中、21名が自分の意思でなっていて、意に反していたのは19名だったことがわかっています。

 

そのうち15名が親に売られ、残った4名のうち2名が釜山と富山に強制連行されたと証言していましたが、両地に慰安所はなく、あったのは遊郭でした。

 

残った2名が金学順さんと文玉珠さんです」

 

注目すべきは、

 

21名が自分の意思で慰安婦になっているということと、

15名が親に売られたということです。

 

この調査について同書では、数字以外のことは詳しく書いてないのですが、これこそ強制連行はなかったという証拠ではないでしょうか。

 

自分の意思で慰安婦になるということは、「どのような仕事か」「給料はいくらか」「職場環境や休日その他福利厚生」などを納得した上で自分から応募しているからです。

 

ましてや「親に売られた」15名についていえば、恨むべきは日本ではなく自分を慰安所の業者に売った親に対して向けるべきです。

 

ここで、自分の意思で慰安婦になったのではないかと思われる、文玉珠さんについて述べてみたいと思います。

 

文玉珠さんは家が貧しかったこともあり、12歳の時点で「キーセン」の修業をしようと決断し、実際にキーセンとして働いていた経歴の女性です。

 

*妓生(キーセン)についてWikipediaから参照します

『妓生 (きしょう、キーセン) とは、元来は李氏朝鮮時代以前の朝鮮半島に於いて、諸外国からの使者や高官の歓待や宮中内の宴会などで楽技を披露したり、性的奉仕などをするために準備された奴婢の身分の女性(「婢」)のことを意味する。』

 

以下、水間氏の書籍から引用

「文玉珠さんは、募集広告に応募したときから『慰安婦』と薄々わかっていたようです。それは普通に『食堂』の募集広告と信じていたのなら母親に行き先も仕事も隠す必要がなかったにもかかわらず、『母にさよならも言わずに出てきたことは間違いだったのではないかと思い、涙がはらはらと落ちた』と語っているからです。

 

仕事の内容を察知して応募したからこそ、家出同然のように出てきたのです」

 

ただ、ここで注意しなくてはならないのは、文玉珠さんに関しては自分の意思で慰安婦の募集に応募したと思われるものの、募集内容自体は食堂の手伝い(ウェイトレス、調理?)という募集内容だったことです。

 

当然、食堂の手伝いをして高い給料を貰えると思い応募してきた娘たちもたくさんいて、文玉珠さんが語ったところによると「娘たちは天地がひっくり返るほど仰天した」そうです。

 

慰安婦を集める業者が、募集内容を偽って朝鮮の女性たちを募集していた例は他にもありました。

 

以下、

チェキルソン著作の「朝鮮出身の帳場人が見た慰安婦の真実」から引用します。

 

「(慰安所の業者である)魏と魏の妻は、読み書きのできる看護婦の助手が必要だと言って、私に、二年間の約束で、アンダマン(インド洋上の島)に行くように言いました。(中略)

 

上陸後、5日目くらいに、魏の妻が私たちを集めて、そこが『慰安所』であることを話しました。私たちも他の女性たちも話しが違うと言って、魏の妻に食ってかかりました。

 

魏の妻は『金は払っている』『親には話してある』と言いましたが、皆納得せず、魏の妻は、大隊長を呼んできました。

 

大隊長は脅すように『慰安所』なのだから諦めるように私たちに言いました。

 

私たちは怒り、憤慨し、悲しみましたが、周りは海ばかりの離島で逃げることもできませんでした。」

 

この元慰安婦の方はチェンさんと言いますが、彼女の場合は表向き看護婦の助手という募集内容だったようです。

 

ただここでも注意しなければならないのは、業者側の「親には話してある」との言葉です。

 

今の日本では考えられないことですが、当時の朝鮮では貧しさからだとはいえ、娘に黙って慰安婦業者に我が子を売っていたようです。

 

当時、慰安所は複数あり、その施設に必要な人数の女性を集めてくる斡旋業者のような人も、やはり複数人いたようです。

(慰安所の業者も、女性を集めてくる斡旋業者もほとんど朝鮮人だったようです)

 

前述したように自分の意思で、慰安婦に応募した女性は21名いましたが、彼女たちを集めるに際して斡旋業者は事前に仕事内容を伝えたと思われます。

 

ただ仕事内容を正直に伝えて、素直に応募する女性ばかりではないと思われますので、中には仕事内容を「食堂の手伝い、看護婦の助手」と偽って女性たちを集めたパターンもあったのでしょう。

 

需要に対して供給が少なければ、求人内容を偽ってでも人を集めようとするのは、現代でもよく散見されることです。

 

そして嘘と騙しで女性たちを集める業者が目につくようになった為に、日本軍は通達を出しています。

 

1992年頃に発見された日本軍の文書では、

慰安婦募集に関して悪徳業者が跋扈しているので、警察と協力して取り締まれ」

という資料が見つかっています。

 

このように悪徳業者に対しては日本軍も、ある程度取り締まるなどの姿勢が見られますが、気になる箇所が前述のチェンさんの証言の中に見られます。

 

それは、チェンさんが看護婦の助手のつもりで、島に渡ったあと、業者が本当のことを明かした為にみんなが抗議をしたというくだりです。

 

業者は女性たちを納得させる為に大隊長(少佐、中佐)を呼び、その大隊長が女性たちに向かい

「諦めるように」と説得したことです。

 

これが本当なら、一部強制連行はあったと言えます。

 

ただし、この大隊長が本物なのかという疑問もあり、業者が女性たちを納得させる為に、同じ業者仲間と組んで一芝居打ったという可能性もあります。

 

もはや真相は藪の中です。

 

強制連行があったのかという結論としては、自分の意思で応募した者、親に売られてきた者が、大部分を占めている為、一部強制連行と誤解される面はあったものの全体的にはそのようなことはなかったと言えるのではないでしょうか。

 

⑤に続きます。

 

 

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