前回のブログ④からの続きです。
今回は「慰安婦は性奴隷だったのか?」から述べてみたいと思います。
奴隷についてWikipediaからの参照です
「奴隷(どれい)とは、人間でありながら所有の客体即ち所有物とされる者を言う。人間としての名誉、権利・自由を認められず、他人の所有物として取り扱われる人。所有者の全的支配に服し、労働を強制され、譲渡・売買の対象とされた[1]。奴隷を許容する社会制度を特に奴隷制という」
まず、当時の物価と現在の物価を対比してみることにします。
当時の大卒初任給は75円です。
現在でいうと20数万円ですが、わかりやすくする為に文中では75円=20万円とします。
慰安婦である彼女たちは、1日に10数人の客を相手にしていたようです。
文玉珠さんの証言によると、(慰安所の業者が売上げの50%を抜いた後で)平日は30円〜40円になり、日曜日は70円〜80円になったようです。
そして文玉珠さんは月に平均して、1000円くらいは貯金をしていたようです。
現在のお金に換算すると
266万円を毎月貯金していました。
ちなみに当時の総理大臣の月給は、800円(213万円)なので、慰安婦である彼女の方がより多くのお金を稼げていたようです。
(最終的に文玉珠さんの貯金は26000円(6900万円)になったとのことでした)
お金以外のことについて述べます。
慰安婦たちが滞在していた、ビルマのミッチーナが米国により陥落した後、米国兵士により「慰安婦」20名、および日本人の民間人2名が尋問され、報告書が作成されました。
この報告書では、当時の慰安婦たちがどのような環境で生活し、労働していたかが記されています。
以下、水間政憲著「ひと目でわかる慰安婦問題の真実」より抜粋します。
米国兵士の報告書より
「ビルマでの慰安婦の生活は、他の地域と比べると贅沢とすら呼べるものであった。(中略)
食糧や物資の配給は豊かでなかったものの、ほしいものを買うための金銭は潤沢に持ち合わせていた。
彼女たちは服、タバコ、化粧品などを購入できただけでなく、故郷からの慰問袋を受け取った兵士からも多くの贈り物を渡されていた。
慰安婦は将兵とともに運動行事に参加したり、ピクニックや演芸会、食事会などに参加して楽しく過ごした。
また蓄音機も所有しており、町では買い物に行くことが許可されていた」
「慰安婦には客を拒否する権利が与えられており、客が泥酔している場合などはしばしば接客を拒否した」
次にチェキルソン氏の「朝鮮出身の帳場人が見た慰安婦の真実」より抜粋します。
「慰安婦は、手続きによって廃業、休業ができたようである。『慰安婦の順子とお染の2名が廃業した』『慰安稼業婦の許琴祥は目下妊娠7カ月であるので、休業届を提出した』という(日記の)記述がある」
以上見てきたように、「性奴隷」という立場にしては、「客を拒否することができ、休業ができ、廃業もすることができていた」ようです。
また米国兵士の報告書にもあるように、日本軍人と慰安婦たちは、一緒にピクニックに行くなど仲の良い関係にもあったのではないかと思えるのです。
また、極め付けのエピソードを紹介します。
文玉珠さんが酔っ払った軍人に対して、生理中であることを理由に断ると、その軍人は怒って日本刀を振り回したそうです。
そしてもみ合いになった際、文玉珠さんはその軍人を刺し殺してしまいました。
その結果軍法会議にかけられたのですが、その時文玉珠さんが裁判長に対して「敵に向かって使うべき天皇陛下さまからもらった刀を、はるばる慰安にきたわたしに向けたのは兵隊さんの間違いです」と訴えたそうです。
すると裁判長の顔つきがスーッと変わり、無罪の判決となりました。
そして他の日本軍人もそのことを喜んでくれたそうです。
もし、本当に慰安婦の立場が奴隷というものであるならば、いかなる理由があったとしても、すぐに有罪になり殺されていたことでしょう。
奴隷でなかったからこそ、正当な裁判を受け、反論をすることができ、その判決も偏ったものではなかった為に無罪となり、その結果に対して他の軍人も喜んでくれたのではないでしょうか。
最後に「慰安所は軍属であり、軍の完全統制下にあったのか」について述べてみたいと思います。
慰安所が軍属である証拠として、以下を挙げる人がいます。
*慰安所帳場人の日記から
・航空隊所属、兵站所属などの記述がある
・慰安所の売上の報告を軍にすること
・避妊具は軍からの支給であること
・慰安婦が亡くなったことを報告すること
これだけを見ると軍属である証拠のように見えますが、帳場人の日記には以下の記述もあります。
・慰安所を他の業者に売却することができた
・他の地域への移転を軍から命令されたにもか
関わらず、慰安婦たちの反対にあい、拒否す
ることができた。
もし完全な軍属であれば、軍の命令は絶対なので拒否することはできないでしょう。
では、なぜ避妊具の支給は軍からなされたのか?
これを推測すると戦争中、兵隊が慰安所を利用する際に、性病を防ぐ為に避妊具を使うことは義務づけていたし、また慰安所にもそのことは伝えていたものの、兵隊と慰安所任せにしては安心できないと考えたからではないでしょうか。
なぜなら避妊具も無料ではないので、お金を惜しみ使用しないこともあり得るからです。
その為に避妊具を軍からの支給とすることで、
しっかりと衛生面は軍が介入し管理するということになったのだと思われます。
そして最後にもう一点、慰安所が軍属ではなかったのではないかと推測される箇所を発見したのでそれを述べたいと思います。
文玉珠さんは、売上げの半分は店から貰っていて、月に1000円の貯金はできていたことは先に述べた通りです。
ただ実を言うと、この1000円はほとんど客として来た兵隊からのチップを貯めたものだったのです。
米国兵士と文玉珠さんが同じことを述べているのですが、慰安所は住み込みということもあり、日々の食事や生活の備品などを業者が高く設定した為に、給料はほとんど残らなかったようなのです。
もちろん文玉珠さんが証言しているように、疲れた時にはお酒を飲んだり、休日に服を買ったりしてなくなったという面もあったらしいのですが、月の給料が約234万円もあったのにもかかわらず給料では貯金ができなかったのです。
つまり女性たちが住み込みで働いていることに付け込み、業者のぼったくりがあったのでしょう。
推測するに、慰安婦たちと兵隊たちのあいだでこのような会話があったのではないでしょうか?
兵隊「君たちの給料はいくらなの?」
慰安婦「売上げの半分くらいなので、1日に30〜40円くらいです」
兵隊「それだけ貰えれば結構貯金できるんじゃないか?」
慰安婦「でも食費や生活品が高いので給料はほとんど残らないんです」
兵隊「………」
このような慰安所のぼったくり状況を見かねて兵隊たちは慰安婦たちにチップをたくさんあげたのではないかと思うのです。
ここで私が言いたいのは、
もし、慰安所が軍の完全な統制下にあったとしたら、住み込みで働く彼女たちの食費や生活品の値段も、軍の命令ひとつで適正な価格にせよということもできたと思うのです。
そうすれば兵隊たちが無駄なチップを払わなくても済むからです。
軍がそれをする強制力がなかったということが、慰安所は軍属ではなく民間の事業所であり営業所であったということの証左ではないでしょうか。
⑥に続きます。