崖っぷち日本のユートピア社会学by大山昇悟

崖っぷちに立っている日本をどうしたらユートピア(理想郷)にできるか日々考え答えを探していくブログです

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「表現の不自由展・その後」について考える⑥最終回

前回のブログ⑤からの続きです。

 

前回までのブログで様々に述べてきましたが、

私自身は「従軍慰安婦強制連行はなかった」と結論するものの、やはり逆の意見を支持する人もかなりの人数いることと思います。

 

ということはやはり、歴史認識については様々な意見を持っている人がいる為、それについてはデリケートな問題なので、公的機関は関われないのでしょうか?

 

ここで、いよいよこの記事の結論を出そうと思います。

 

「表現の不自由展・その後」について、表現の自由を盾に「慰安婦像」の展示をすることについての私自身の見解は、

 

多額の税金を投入して「慰安婦像」を展示し、「従軍慰安婦強制連行」があったかのような展示会を公的機関が主導して行うべきではないと考えます。

 

国民の歴史観が100%確定しているとは言えない状況の中で、従軍慰安婦の強制連行が過去に行われたかのような展示を、もし税金を投入して公的機関が開催したとしたらどうなっていくでしょうか。

 


予想されることは、公的機関が開催しているということは、当然誰もが「従軍慰安婦強制連行はあった」と思うようになります。昔のことだからよくわからないと、態度を保留していた人も「公的機関のお墨付き」がある為、遠からずその見解に与するようになるでしょう。

 

すると次には、「従軍慰安婦強制連行はあった」んだから、こういう大事なことは子供達にもしっかり教えるべきであるという意見が出ます。そして学校の教科書にも詳しく載せて、授業でも教えるべきとなっていくでしょう

 

従軍慰安婦強制連行はあった」と信じた大人たちは、次には韓国に充分な保証をしなければならないとなります。

 

そして教育機関で教えられた子供達は「自分たちの先祖は昔悪いことをしたのだ」と考えて、すべからず「日本人としての誇り」を失っていきます。

 

「悪いことをしたら反省する」ということは一個人としては良いことですが、問題は現在の日本を取り巻く状況です。

 

日本に核ミサイルを向けている北朝鮮や、中国の存在です。

 

特に中国について言えば、メディア戦、心理戦、法律戦の三戦を軸に超限戦(無制限戦争)という形ですでに日米に戦争行為を始めていると見て間違いありません。

 

そして韓国は竹島を不当に実効支配しています。

 

日本以外の周りの国がブータンみたいな善良な国ばかりとは限りません。

 


この件を韓国の側からしたらどう見えるでしょうか。「日本が謝罪しているんだから徹底的に保証してもらおう」と考える人たちが出てくるのは必然です。

 

それこそ極端なところまで行けば「従軍慰安婦強制連行」は国際的にも関心が高い為、二度とこのようなことが起きないように、日本に対して「従軍慰安婦年金」みたいな形で永久に保証させようということになりかねません。

 

「永久に保証させることによって」二度と悲惨な出来事が起きづらくなるという理論が成り立つからです。

 

ですが、これらは1965年の日韓基本条約によってすでに解決済みのことなのです。

個人の保障はまた別であると主張する人がたまにいますが、個人の保障を個別に言い出すとキリがないために国家間で条約を結んだのです。

 

そして、日本が「従軍慰安婦強制連行」があったことを公的に認めてしまい、未来永劫にわたり子供達に教え続け、かつ金銭的保障をするデメリットを述べます。

 

上智大学名誉教授であった、故渡部昇一氏が繰り返し述べていたことがあります。

「その国の国民が誇りを持てるかどうかは、自国の歴史に誇りを持てるかどうかで決まる」

 

日本の子供達に、従軍慰安婦のような、あったかどうかわからないようなことを細かく教え、

罪悪感を刷り込ませれば、必ず日本に誇りが持てなくなるでしょう。

 

また、そういう悪い兵隊たちの子孫が自分たちであると思えば、自分自身にも誇りが持てなくなります。

 

そのような自虐的精神からは、誇りが失われて、また愛国心もなくなっていきます。

 

すると「日本をもっと良い国にしよう」という気持ちもなくなり、日本の停滞も招きます。

つまりは民主主義の崩壊です。

 

そして、人間の「気概」は「誇り」から発生するものですが、その誇りが無いために、近隣諸国の様々な攻撃からも日本を守ろうという気概

が出なくなるのです。

 

 

ここで、話しを最初の方に戻します。ブログの①で、人間の尊厳と自由の尊さを、宗教思想から導きました。

 

そして、宗教思想の普遍的な真理として「愛」と「反省」があります。

 

一部にあったと思われる、騙されて慰安婦になってしまった女性たちへの「愛」と自分たちの「反省」は宗教的には重視しなくていいのか、という問題があります。

 

これについての自分の見解を述べます。

 

もちろん私自身は、騙されて慰安婦になってしまった女性たちに対しての同情心はあります。

 

ですが、「愛と反省」は普遍的な真理だとしても、それを個人を超えて、国家として適用する場合は、その国の状況によっては悪に転化する場合もあるということです。

 

つまり、神より与えられた自由を使い、「愛と反省」に基づいた「表現の自由」を行使する際に、「国家という規模の拡大」「将来にわたる時間軸」「自国を取り巻く周辺の状況」という要素が加わわるとします。

 

すると「自由・愛・反省などの真理」が、一転して日本人の誇りや気概の欠如、愛国心と民主主義の喪失を発生させ、日本を侵略国家から守れなくなるなどの、とてつもない「大きな悪を生み出す」ことになるのです。

 

そしてそのような悪は、神や仏も是認されないと思うのです。

 

第二次大戦後、GHQは日本にWGIP(戦争による罪悪感を刷り込むプログラム)を刷り込ませることに成功し、一説ではそのマイナス効果は戦争の直接的な人的、物理的被害より大きいものだったのではないかと言われています。

 

そういう意味でも自虐史観を侮ってはならないと思います。

 

度が過ぎた自虐性というものは、神の子、仏の子としての尊厳を傷つけ、人間に与えられた自由をも本来の目的で使うことを妨げるのです。

 

そして、そのような日本人のマイナス心情に付け込もうとする国も存在するのですから、彼の国の悪を助長するような行動は慎むべきです。

 

そしてそうならないように気をつけることは、日本国憲法にも合致すると思うのです。

 

憲法第11条

基本的人権は、犯すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる」

 

憲法第12条

「国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない」

 

全6回にわたり長くなりましたが、以上で『「表現の不自由展・その後」について考える』を終了します。

 

*追記

なお、「従軍慰安婦強制連行はあった」という書籍を公的な図書館に置くことについての是非についても述べておきたいと思います。

 

学校の図書室に置くことは、歴史教育の観点から置くべきではないと思いますが、公的な図書館においては積極的に置くべきではないものの、完全な排除はしなくてもいいのではないかと思います。

 

ただし、置く場合は「従軍慰安婦強制連行はなかった」という本とセットにすることが条件です。反対意見を知ることによって、多様な視点を得ることもでき、なおかつ自身の見解も強化されるからです。

 

また、歴史研究という意味では「こういう反対の視点での研究もあり得る」と思いますし、なにより少数意見であっても、完全に排除しないことが民主主義を担保することにもなると思うのです。

 

また、公立図書館にも税金は投入されているものの、「表現の不自由展・その後」の8億円投入から比べれば、わずかな金額だと思われるので許容範囲の内に入るのではないかと思います。

 

あくまで公開の仕方の規模や程度の問題です。

 

また今回の記事については、韓国について個人的な感情を含むものではありません。評価すべきは評価したいと思いますし、また機会があればそのような記事も書くつもりです。

 

長い、長い記事を読んでいただき、本当にありがとうございました。

 

 

 

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