2005年4月25日JR福知山線、塚口駅〜尼崎駅間で発生した列車脱線により、乗客と運転士合わせて死者107名、負傷者562名を出す凄惨な大事故がありました。
その数日後、ある新聞に不思議な記事が掲載されたのです。
記事によると、若い女性が事故を起こす福知山線の列車に乗っていたところ、伊丹駅で突然老婆から腕を掴まれ「この電車に乗ってはいけない」と電車から降ろされてしまい、そのおかげで事故に合わずに済んだというのです。
その老婆はいつのまにか姿を消してしまったので、その正体はわからずじまいでしたが、ともあれ若い女性はその謎の老婆のおかげで急死に一生を得たという話しです。
今回の不思議な話しは、この女性ほど劇的ではありませんが、私の母が似たような体験をしているので紹介したいと思います。
話しは19XX年、母がまだ20代前半の頃のことです。
当時母はまだ独身であり、神奈川県鎌倉市の実家から東京神田にあるK建設に電車で通っていました。
その日は土曜日ということもあり、母は会社での仕事を終えてもすぐには帰らずに(当時は週休1日制)街でブラブラとショッピングをしたりして楽しんでいたそうです。
そしてふと時計を見ると21時近くになっていました。
母はそろそろ家に帰ろうとして、東京駅発の横須賀線に乗る為にホームに向かいます。(母の実家は大船駅にあります)
そして21時すぎ、東京駅発逗子駅行きの横須賀線の列車がホームに入って来た時です。
母はその時、フッと
「1本遅らそうかしら…」
と思い、目の前の列車をやり過ごしました。
そして待つこと数十分、次の列車に乗った直後に、アナウンスがあり直前の列車が事故を起こしたことを知ります。
母は自分が乗る予定だった列車が事故を起こしたことを知りびっくりしたそうです。
そして、その列車事故は単なる小さなものではなく、国鉄の列車事故ではかなり大きな規模の事故だったのです。
それは、
国鉄戦後5大事故の一つである
通称鶴見事故と呼ばれているものです。
この鶴見事故は、1963年11月9日、21時40分頃に貨物列車が脱線した所に、横須賀線の上り列車が突っ込み、さらにそこへ横須賀線の下り列車(母が乗る予定だった)が突っ込んだ三重の列車事故でした。
この事故により、
上下列車合わせて死者161名、
重軽傷者120名を出す大惨事となったのです。
↓当時の実際の映像です
競合脱線が原因 国鉄鶴見列車事故 | NHK放送史(動画・記事)
母がなぜその時に列車を一本遅らそうと思ったのかはわかりません。
ただ以前から母は割と虫の知らせというか、インスピレーションみたいなのをよく受けるようでした。
一つ言えることは、もし母が列車を一本遅らせていなければ、自分もこの世に生まれてない可能性があり、自分も急死に一生を得たのかもしれないということです。
運命の分かれ目の一つだったのかもしれません。
*今回の話しは、今から20年前くらいに母からほんの少し話しを聞いていただけであり、何より昔の話しということもあったのでわからないことも多く、兄に電話して細かい部分を埋めて行きました。その際不思議と事故当時の空白のピースが埋まっていき、何かに導かれたような気がします。
母が勤めていたK建設もWikipediaに載っていたことにより(Wikipediaに載るような会社だとは思わなかった)、会社の所在地が明確になり、事故当時の母の行動がよくわかりました。
今は離れて暮らす兄と、天国にいる母に感謝を捧げたいと思います。

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