「効果的な休養研究所〜ストレス解消編」
今回は、そこそこの年齢の人なら観たことがあると思われる、1963年公開の映画「大脱走」を熱く語りたいと思います。
ストーリー
【 第2次大戦下のドイツ。捕虜の脱走に頭を悩ますドイツ軍は、脱走不可能な収容所を作った。連合軍の兵士たちは、収容されるやいなや脱走を敢行、しかし失敗する。だが将兵たちは知恵を絞り、なんと計250人の集団脱走を計画する。そして実行当日を迎えた。
スティーブ・マックィーン、ジェイムズ・ガーナ、チャールズ・ブロンソン、ジェームズ・コバーンら、オールスターキャストで展開する傑作エンターテイメントである。監督はアクションの巨匠、ジョン・スタージェス。エルマー・バーンスタインの名曲『大脱走マーチ』にのって、映画史上最高かつ最大の、痛快無比な男のドラマが展開する。】(出典Amazonより)
歴史に残る名作映画の共通点として、脚本、俳優、音楽、演出、そのどれを取っても完璧であり、全くムダがないことが挙げられる。
そして、そのワンカット、ワンシーン、俳優のセリフに至るまで、観る者の心に焼き付き、それが何十年経っても色褪せず、かつその映画を第三者に語りたくなるような映画、それがこの「大脱走」である。
そのような超一流の傑作映画は、おそらく数年に1本くらいしか出ないであろうが、この映画「大脱走」は間違いなくそんな映画の1本である。
ちなみにこの映画は実話に基づいている。
主演はスティーブ・マックイーンだが、実際は収容所にいる捕虜全員が主演であり主人公だと思う。
もしこの映画が現代のハリウッドで作られたならば、おそらく8割以上、マックイーンをカメラに映し、いかにも英雄みたく撮るはずである。
しかし250人というスケールの大きい脱走を実行する以上、一人の主演を目立たさせ、他の登場人物を主演の引き立て役にするような映画の撮り方は、むしろ陳腐に見えるはずである。
脱走したい捕虜たちが、マックイーン以外にも当然いるわけであり、「その他大勢の脇役」という冷めた目で観客から見られないように、マックイーン以外にもチャールズ・ブロンソンなど複数の存在感のある俳優を配置しており、それが時代を超えてこの映画を熱く鑑賞せざるを得ない要因となっている。
画面に次から次へと登場する男たち、一人ひとりが人間味があり、個性的であり、魅力に溢れている。そんな男たちが力を合わせて250人の大脱走を企てるのだから、面白くならないわけがない。
彼らがなぜそんなにも魅力を放っているかと考えるに、もちろん名のある俳優だからという理由は抜きにして、やはりドイツ軍の捕虜になりつつも、決して卑屈にならず、人間としての誇りを失わず、明るく、前向きに自由を求め続ける姿勢にあると思う。
それでいて、脱走の目的の一つに「ドイツ軍の後方撹乱」を入れるあたり、「刑務所から囚人が脱走する」のとは一線を画し、アメリカ人兵士(連合国軍?)の矜持を感じさせるのである。
実際に70人以上が収容所から脱走した後には、500万人のドイツ軍、官憲、民間人が動員され、数週間にわたって脱走者の捜索に当たっている。
映画は170分とかなりの長さだが、それはこの映画が「収容所から脱走するまで」と「脱走後の各自の逃走」を丁寧に描いているからだが、全く間延びせず時間の長さを感じさせない。
とはいえこの映画の見どころは収容所からの脱走部分かもしれない。建物の下に穴を掘り、収容所の外の森までの約100メートル、横穴を掘る。
穴を掘る道具、トンネルが崩れない為の支柱、掘り出した大量の土の処理、また脱走した後の食糧、服、列車の切符の手配など、いくつもの困難なハードルが待ち構えている。
普通ならば脱走など不可能なのだが、それが可能になった理由として、収容所にはドイツ軍が効率よく捕虜を監視する為に、捕虜の中でも札付きの脱走屋をまとめて収容していたことが挙げられる。
例えば、トンネル掘り専門のトンネルキング、脱走に必要な道具を調達する調達屋、偽造屋、情報屋、そしてマックイーン演ずるヒルツは脱走18回の脱獄王、などなど。
それぞれが自分の得意分野を活かし、250人の大脱走に向けて、力を合わせていく。
とにかく脱走に向けての作業が、工夫を凝らしており、ネタバレはしないが「こんな方法を使うのか!」と思わず唸らされる。
トンネルを掘り進めて、滑車付きの台(トロッコ)にうつ伏せになり移動するシーンは、映画史に残る名場面である。
トロッコの製作過程は小説「大脱走」に詳しく載っているので引用しておく。
【車輪はブナ材を丸くくり抜いて3枚合わせ、ねじ金で止める。内側の円盤を一回り大きくすれば線路にのせるフランジができる。缶詰の空缶を細く切って車輪に巻き、磨耗を防ぐ。ストーブの火かき棒を車軸に使い、木製軸受にマーガリンを塗ると調子良く回った。】
捕虜収容所という、物が手に入り辛い不自由な環境での苦労が偲ばれる。
ちなみに製作時に、実際に戦争当時収容所にいてトンネルを掘った人が、アドバイザーとして参加しているので、リアリティは折り紙つきである。(それでも映画の中でのトンネルは広すぎるという意見だったそうだ)
また、当時の収容所では脱走の為のトンネルを100本近く掘ったようだ。
さらに収容所を脱走するまでの登場人物たちの人間味溢れるエピソードもよい。目が見えなくなった友人を励まして寄り添って脱走したり、実は閉所恐怖症だったトンネル掘りなど。
自分は初めてこの映画を観たのが小学生の時だったが、それも含めて4〜5回くらい観ているがいつも疑問に感じることがあった。それは収容所にいるドイツ兵と捕虜(主にアメリカ人、イギリス人)の仲が決して悪くないことである。
小説「大脱走」にはその辺の理由が詳しく書いてある。つまるところ捕虜の側からすれば、ドイツ兵と少しずつ仲良くなって、収容所の外の情報を聞き出したり、チョコレートなどのワイロで脱走に必要な道具などを適当な理由をつけて調達していたのである。
またドイツ兵側からすれば、収容所の中で不満の吐口もないのでついつい気を許した捕虜とお茶などして気を紛らわせていたようだ。
小説の作者であるポール・ブリックヒルは「収容所には気のいいドイツ人も大勢いた。(中略)家庭もあって女房もちで子供のいる、国籍票さえひっぺがせば世界中どこへ行ってもみな同じ男たちだ。」と述べ、さらに収容所の所長に対しても「人間的には立派な人であった」と評価しているのである。
これこそが映画の中での「あまり怖くないドイツ兵」の理由なのであった。
収容所を脱走した後は、ドイツ軍を撹乱する為に、各々がバイク、クルマ、汽車、船、飛行機などを使い逃走する。
バイクに乗って逃げるマックイーンが超カッコいい!
60年代の映画なので、バイクシーンもカメラワークはそれほど凝ってない。というか現代のように撮影方法や、特殊効果などが限られており、どうしてもカメラを固定させたままで、俳優を動かすシーンが多くなってしまう。
現代であれば、バイクで逃げるシーンも、カメラを引いて撮影したり、本人の表情を撮ったり、バイクの移動とともにカメラを移動させたり、迫力ある演出になるはずであるが…その点は現代ハリウッド映画を見慣れている人にとっては視覚的な物足りなさは感じるかもしれない。
しかし当時の状況を考えればそれは仕方ないであろう。
むしろドイツ軍から包囲されながらも、国境線のバリケードに添いながら、バイクを駆使し、なんとか国境の向こう側に行こうとするヒルツ(マックイーン)に思い入れしてしまい、いつの間にか固定カメラなど気にならなくなるのである。
実はこの映画の撮影が始まった段階では、脚本はまだ最後まで完成していなかったとのこと。場面によってはその場で即興で決めることもあり、マックイーンは不満を抱いていたそうだ。
マックイーンはそれ以外でも、自分の役があまり英雄っぽくないのが不満だったらしい。当時のマックイーンは、英雄を演じることが自分の俳優としての役目だと考えていたからだ。
そんなある日、不貞腐れてホテルに帰ったマックイーンをほかの俳優が説得するのである。
「ヒルツ(マックイーン)が映画の中で果たした仕事こそ英雄じゃないか」と。実はヒルツは250人が脱走するために、欠かすことのできない困難な役割を負っていたのである。
そうやって、他の俳優達の説得が功を奏しマックイーンはようやく自分の配役に納得するのである。
後半のそれぞれの逃走は、逃げきれた者もいれば、捕まって収容所に戻された者もいる。
そんな中、収容所に戻されたヒルツは、愛用の野球グローブとボールを手に楽しそうな笑みを浮かべて、独房でひとりさらなる脱走計画を練り始める。
18回捕まっても、心が折れることなく飄々と脱走計画を練るヒルツの姿は、マックイーン本人の思いとは裏腹に、収容所の中では英雄そのものに見えるのである。
ちなみに自分は今でも通勤時にクルマの中で「大脱走」のサントラを時々聴いている。
血湧き肉躍る「大脱走マーチ」を聴くたびに、不思議とやる気が満ちてくる。
この映画は22世紀まで語り継ぐべき名作映画である。
ストレス解消点→10000点