「中国共産党員になりたい」ジャッキー・チェンがつい最近このような発言をし、日本の映画ファンのみならず、保守層の人たちの心をざわつかせました。
ジャッキーの怪しげな発言は、中国が経済的にも軍事的にも存在感を表し始めた時期と重なっているようにも見えます。
今回のブログは筆者が個人的に好きなジャッキーの作品のレビューをしてから、その後の政治的な発言を追ってみたいと思います。
まずは、1978年公開の「ドランクモンキー 酔拳」
ジャッキー・チェン24歳の頃の作品です。
【ストーリー】
【カンフー道場のドラ息子、ウォン・フェイフォンは練習は真面目にしない、町に出れば悪戯ばかりという放蕩ぶり。
見兼ねた父親は、息子を改心させようと、カンフーの達人,ソウ・ハッイーを呼び寄せた。厳しい修行で知られるソウ・ハッイーの元での修行を強いられたウォンは、酔えば酔うほど強くなる、という秘伝の拳法“酔八仙”を受け継ぐために苛酷な修行に励む。
そしてついに、奥義“酔八仙”を修得するーー!】Amazonより抜粋
今回、数十年ぶりに観ましたが、印象としてはジャッキーの整った顔と、そのスター性です。肉体は鍛錬すればなんとかなりますが、スター性だけは天性のものなので、ジャッキーが人気が出た理由も頷けました。
カンフー映画としては、ブルース・リーが有名ですが、リーの映画はどれも話が暗くシリアスな印象です。
リーのスター性は際だっていますが、カンフー映画イコール「重苦しい格闘シーン」というある種の型が出来てしまったような気がします。
そこを逆手に取ったジャッキーのコメディタッチのカンフー映画は当時としては画期的だったと思います。
なおかつ「酔拳」では単に手と足だけを武器にするだけではなく、「椅子」「野菜」「お酒を入れる瓢箪の紐」などを攻撃と防御の小道具として使用しているのも新鮮でした。
筆者がこの映画が好きな理由としては、ジャッキーがカンフー使いの殺し屋と、偶然格闘することになった時に、完膚なきまでに叩きのめされて、挙げ句の果てに殺し屋の股の下をくぐらされた場面です。
韓信の有名な股くぐりをモチーフにしているとは思いますが、韓信の場合は、将来に期するものがある為に平気でしたと思われますが、ジャッキーの場合は単なる屈辱的な行為でした。
これをきっかけに一度は飛び出した師匠の元に戻り、稽古に身を入れるのですが、このエピソードは単なるコメディタッチのカンフー映画にならない、格闘の原点が描写されており、主人公への思い入れが何倍にも強くなると同時に、映画に一本芯が入ったような気がします。
なお肝心な格闘シーンは、現代ではやや冗長に見える面もあるかとは思いますが、中国武術は現代のMMA(総合格闘技)にもそれほどヒケを取る訳ではないということがネットの普及によって明らかになりつつあるので、その点も踏まえて鑑賞すればカンフー映画としてのリアリティも感じられると思います。
次は1983年製作の「プロジェクトA」
ジャッキー29歳の頃の作品
ストーリー
【巨悪がはびこる20世紀初頭の香港。ドラゴンが所属する海軍隊は、非道の限りを尽くす海賊の撃滅を命じられるも、逆に戦艦を爆破され、ライバルのジャカー率いる陸軍 部隊に合併されてしまう。初めはいがみ合ってばかりの両者だったが、やがて海賊退治を通して友情が芽生え、ちゃっかり屋の盗賊フェイも加わって、海賊のアジトであ る社交クラブへ乗り込み、捨て身の征伐作戦“A計画”を決行する。】Amazonより抜粋
当時、カンフー映画が様々な設定を変えては製作されていましたが、ややネタ切れ感やマンネリ感が出ていたように思います。
そこへ本作はカンフーという強みを現代的な映画設定で活かすことができたブレークスルー的な作品として登場しました。
改めて観直すと、劇中イギリス人が出てきたり、ジャッキーが「俺たちのボスは女王様だ!」というセリフを言ったり、当時の香港はイギリス統治下にあったことを思い出します。
海軍の制服がいわゆる水兵さんのセーラー服であり、その制服が異様に似合っているジャッキーが新鮮に見えます。
また、自身が積み上げてきた既存のカンフー映画の枠を越えようと、自転車を使った追跡シーンや、有名な時計台からの落下など、獅子奮迅の活躍を映画内に盛り込みます。
終盤は、すでに他の映画で名前が知られていたユン・ピョウとサモハン・キンポーの2人と協力して3人で海賊の親分に挑みます。
ラスト、ダイナマイトを使い親分との戦いに終止符を打つ場面は、映画史に残る名場面と言えるでしょう。
「プロジェクトA」の日本公開は確か1984年の春頃だったように記憶しています。そして84年といえば「インディ・ジョーンズ 魔宮の伝説」が公開された年でもあります。
両方とも好きな作品ではありますが、当時の筆者の感じ方としては「プロジェクトA」が評価としては若干上回っていました。
本作以降、「スパルタンX」「ポリスストーリー 香港国際警察」などのヒットを飛ばし、ハリウッドにも進出、国際的なスターになったのは周知の通りです。
ジャッキーの映画は基本的には勧善懲悪ものが多く、正義のヒーローであるジャッキーが悪の組織に立ち向かうという設定が多いように思います。(全作は鑑賞していないので例外はあるかもしれません)
ここからは、スクリーンの中のジャッキーではなく、現実のジャッキーを概観してみます。
☆1989年→言わずと知れた天安門事件発生の年です。実はジャッキーはこの時点で民主活動家を支援するイベントに参加しており、どうやらその映像も残っていたようなのです。
↓これがその画像
この時点でジャッキーは中国が民主化されることを望んでいたのかもしれません。しかし、その20数年後…
☆2012年→「尖閣諸島は中国のもの。スーパーマンになって、尖閣諸島を中国側に近づけるように引っ張りたいくらい」と発言
☆2014年→香港の雨傘運動を批判
「このたびの(雨傘運動で)香港の経済損失は4兆8000億円にも達した」「国が強くなければ裕福な家などない」と発言
☆2016年→中国の鉄道員たちが旧日本軍と戦う抗日映画「レイルロード・タイガー」主演
☆2019年→香港国家安全維持法に支持表明
☆2021年→「中国共産党員になりたい」と発言
「私はよく自分自身に言い聞かせるのですが、外国ではいつも『中国人であること』を誇りに思っています。党員であるみなさんがうらやましいですし、共産党は本当に素晴らしいと感じます。党が言っていること、約束していることは、100年ではなく数十年で必ず実現します。党員になりたい!」
残念といえば極めて残念なジャッキーの発言ですが、これらが本当にジャッキーの本心なのか疑問は残ります。
そこでジャッキーの心のうちをいくつか推測してみると、
①もともと考え方が中国共産党よりだった
②計算高いビジネスマン的思考をする人
③中国共産党に脅されて、心ならずも中国共産党の指示通りに踊らされている。
以上3つのパターンが考えられますが、①のもともと中国共産党的な思考の持ち主であれば、香港国家安全維持法に賛成するのもうなずけます。
ですが、もし現在の香港で若かりし頃のジャッキーが自由に映画を製作していったならどうなっていたでしょうか。
おそらく、人気が出るにつれて当局に目を付けられるようになり、「カンフー映画を通して香港人に暴力的な精神を植え付け、国家反逆を計画している可能性がある」とかなんとか言いがかりをつけられて香港国家安全維持法に基づいて逮捕されるかもしれません。
ちなみに同法は非常に曖昧な表現が多い為に、中国の保安担当者が好きなように運用できるようになっています。
つまりジャッキーが好きな映画を作れて、スターにまでのし上がることが出来たのは、当時の香港がイギリス統治下にあり、中国のコントロールが及ばない状態だったからに他なりません。
そんなこともわからないジャッキーではないとは思いますが…
そこで考えられるのは、③の中国共産党に脅されて、渋々中国共産党よりの発言を繰り返してるのではないだろうかというものです。
日本人としては、むしろこのパターンであってほしいと思う人が多いのではないでしょうか。
例えばジャッキーが様々なメディアで、中国批判をするとジャッキーの親戚が逮捕される、などです。
もしこのような状況にあるのであれば、ジャッキーには同情するしかありません。
そして最後に最も可能性が高いと噂されている②の「ジャッキーは計算高いビジネスマンではないか」というものです。
有り体に言えば「大きくて強いもの」には日和見主義になるということです。もちろん金銭的な損得勘定が伴います。
もし日和見主義であれば、過去に彼が作った映画は全てそういう目で見られる為に、歴史の中に埋もれていくのではないかと思います。
あとビジネスマンという表現は適切ではないかもしれません。
要するに、「経済至上主義」「お金こそ全て」「拝金主義」は中国共産党の思想と非常に近い位置にあるからです。
共通点としては、「拝金主義のビジネスマン」は「唯物論」「無神論」になりやすい為、「中国共産党と」結託しやすいのです。(現在の日本人もあまり変わりませんが)
果たしてジャッキーは、映画「酔拳」で見られたように悔しさを噛み締めながら、中国共産党の股の下をくぐったのでしょうか?
それとも金銭的損得勘定を計算して、嬉々として中国共産党の股の下をくぐったのでしょうか?
それともジャッキー自身が心の底から中国共産党員となって、世界中の人達に対して股の下をくぐらせたいのでしょうか……。
現在、世界の人々が警戒しないといけないのは、共産主義という衣を被りつつ、実際には一部エリート層が上級国民として美味しい立場に立てる全体主義の蔓延と、その組織に擦り寄る拝金主義者たちです。
そして自由と民主主義の国である日本にも、全体主義の波がジワジワと押し寄せつつあります。
もし日本が全体主義化した場合は、容易に中国の軍門に降るようになるでしょう。
それは日本が中国の股の下をくぐることを意味します。
それは「悔しながらくぐる」のか、「喜んでくぐるのか」、どちらにせよ中国の股の下をくぐることに変わりはありません。
そのような状況にならない為にも、憲法改正、核武装を含めた自主防衛を一刻も早く行わねばならないと筆者は考えています。

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