「芸術の中に神の姿を見いだす〜文学編」
今回は松本清張の芥川賞受賞作である『或る「小倉日記」伝』を紹介します。
この作品は推理小説ではなく純文学です。
この作品を知ったのはまったくの偶然でした。自分は結構本格推理小説が好きだったものの、どちらかというと、江戸川乱歩や横溝正史が好きで松本清張はあまり読んでいなかったのです。
なのでやはりしっかりと読んでおこうと思い、文春文庫の「宮部みゆき責任編集 松本清張傑作短編コレクション・上」を手に取ったところ、1番最初に収録されていたのが、『或る「小倉日記」伝』だったのです。
ミステリーが読みたかった自分は、最初は義務感でページをめくっていたのですが、いつのまにか少しずつ作品に引き込まれていきました。
以下、簡単なあらすじです。この文学の主人公は実在の人物をモデルにした田上耕作という青年です。
田上耕作は明治42年、熊本に生まれました。耕作は生まれつき、身体に障害を抱えており左足はびっこをつき、口からは常に涎を垂らしているという状態でした。
そのような外見である為に、どこに行っても奇異な視線を浴びるのが常でしたが、学校の成績だけは優秀でした。
父親は、耕作が10歳の時に病死した為に、その後は母子家庭となります。耕作の将来を案じた美人で評判の母親は、耕作に手に職をつけさせようと職人の所に奉公に出しますが、続けられません。
母親への縁談はたくさん来ていたものの、耕作がそこでどのような扱いを受けるか不安だった為に、縁談は全て断っていたのです。
主たる収入は、夫が残してくれた貸し家の家賃収入のみであり、母子二人は慎ましく暮らしていくのです。
そんな中、耕作の優秀な面を買ってくれている医師の家で、耕作は森鴎外の小説と出会います。
森鴎外(明治、大正期の小説家)は明治32年から福岡県小倉市に住んでいましたが、その3年間の日記が行方不明になっていることを耕作は知ります。
そして、耕作は森鴎外の小倉市時代の空白の3年間を自力で調査しようと決意するのでした。
将来の見通しがまるで見えない耕作が、そのようなことを決意し、行動することに母親は喜ぶのでした。そして耕作は不自由な足で、またどもりのある言葉を使い、少しずつ鴎外の足跡を辿っていくのでした。(この時点で森鴎外が小倉市に住んでいた時期から30〜40年経っています)
耕作は、生前の森鴎外を知っている人達を少しずつ探しだし、話しを聞くことが出来たりしたのですが、耕作は時々漠然となんとも言えない感情に襲われることになります。
なぜなら、いくら森鴎外の小倉市時代の日記が紛失して、文学史的な資料としては価値があったとしても、一般人である耕作自身の調査に価値があると認めてくれるとは限らないからです。
それでも小倉市時代の鴎外と関わりのある何人かの人に話しを聞き、それを文章にしてまとめ、鴎外と親しくしていた文壇の人に調査結果を送ってみたところ、それなりに評価してもらえたのです。
とはいえ作中、耕作はその外見と身体の不自由な点、加えてうまく言葉も話せない中での調査の際には、「あんた、何でそんなことしてんの?」的な冷たい対応をされることもありました。そして時々やるせないような、虚無感のようなものに襲われます。ですが、そのような状態になると母親が耕作を励ますのでした。
自分がこの短編小説に共感した理由は、自分も昔、ある夢を実現しようとして、高校卒業した後進学や就職もせずに、夢を実現すべくがむしゃらに頑張っていた時期があったからです。
父親からは大学に行かせたつもりで4年間の時間をもらいました。自分としては親の許しがなければ家を出るつもりだったのです。
ですが、実は裏で母親が自分を応援してくれていて、父親を説得してくれていたのでした。
とはいえそんな母親の期待に答えられたかというと、難しいものがありました。その4年間は自分の人生の中でも最も辛い時期になったのです。
作中の田上耕作のように、「この行動がいつか
実を結ぶ日が来るのだろうか…?」「やはり自分には無理なんじゃないだろうか…?」「もう諦めたほうがいいのではないか…」と何百回自問自答したかわからないくらいです。
いつか、自分が10代の頃に抱いていた夢がなんだったのかをブログに書いてみようと思っています。
ともあれ、そういう体験をしたこともあった為に、主人公の田上耕作の気持ちがよくわかるのです。
そしておそらくですが、何かの夢を実現する為に頑張っている人や、若い人であれば多かれ少なかれ田上耕作のような心境になることもあるのではないでしょうか。
この小説を読み、昔読んでいたある漫画を思い出しました。
その漫画は1980年代にヤングジャンプに連載されていたコンタロウ作「いっしょけんめいハジメくん」という若手サラリーマンの話しです。
ハジメくんは、大手商事に勤めています。ある日社内の野球大会で相手チームのピッチャーの投げるボールをホームランにしてしまいす。
実はそのピッチャーは定年間際の係長で、真面目でコツコツと誰よりも仕事をするタイプなのですが、出世はできず係長どまりでした。
その係長が定年になり、送別会での挨拶をします。
するとその係長は今までの自分の人生を否定するかのような挨拶をしたのです。
他の社員はその係長の頑張りを知っていただけに少し拍子抜けします。
すると送別会に遅れてやってきたハジメくんが、係長の頑張りを称える表彰状を持ってきたのです。
そして、ハジメくんは表彰状を係長に渡す時に係長を様々に褒め称えたのです。
係長は涙を流し、「ありがとうハジメくん、本当は私もそういうことが言いたかったんだよ」と言ったのでした。
↑上記画像がその時の場面
今なら「人生はうまく渡り歩いた者の勝ちだ」と言わざるを得なかった係長の気持ちもわかります。
ですが、人生の苦しみは原因(努力)と結果(成功)が必ずしも対応しないという部分にあり、そのことに耐えないといけない面がどうしてもあると思うのです。
そして.現在進行形で何らかの成果を出すべく努力している人は、「ひょっとしたら成果が出せないかもしれない」「自己満足で終わるのかもしれない」という不安と戦っていると思います。
『或る「小倉日記」伝』はそういう目立たない努力を、人知れず積み重ねている人に、光を与える名作です。
機会があったら読んでみることをお勧めします。