今回お勧めする本は、「三銃士」などで有名なアレクサンドル・デュマの「モンテ・クリスト伯(全7巻)」(岩波文庫版)である。
あらすじ
【今も昔も復讐鬼の物語が人々の心を惹きつけてやまないのは、それが幸福と安寧に背を向けた人間の究極の姿だからであろう。世界の文学史上最も有名な復讐鬼、モンテ・クリスト伯。19世紀フランスの文豪、デュマが創造したこの人物もまた、目的を果たすごとに、底なしの泥沼へと一歩足を踏み入れていく。
本名、エドモン・ダンテス。マルセイユの前途有望な船乗りだった彼は、知人たちの陰謀から無実の罪で捕えられ、14年間の牢獄生活を送る。脱獄を果たし、莫大な財宝を手に入れたダンテスは、モンテ・クリスト伯と名乗ってパリの社交界に登場し、壮大な復讐劇を開始する…。】(Amazonより)
文庫版で7冊もある長編ということもあり、考えさせられる論点が多くある小説である。
日本では「岩窟王」という題名で、子供向けに編集されているバージョンが有名だが、復讐劇ということもあり語弊はあるが面白さが約束されている本でもある。
筆者も以前から読みたいと思っており、今回たまたまタイミングが合い、本を手に取ってみたところ、そのストーリーの面白さに「もっと早く読めばよかった」と感じてしまった。
物語の出だしは、主人公のエドモン・ダンテスが20歳そこそこの若さで船のオーナーから次期船長を約束され、かつ誰もが羨むほどの村の美しい娘メルセデスとの結婚間近という設定から始まる。
ダンテスがまさに幸福の絶頂になりそうな状況に、同じ船乗りのダングラールは面白くない。
さらにメルセデスに横恋慕するフェルナンと、父親の政治的弱みを握り潰したいヴィルフォールが加わり、ダンテスは政治犯として孤島にある牢屋に収監されてしまう。
ダンテスを陥れた3人は、ほんの軽い気持ちだったかもしれないし、またそのような描き方もされている。だが「自分が幸福になる為には、人を不幸にしても構わない」という3人に共通する姿勢が、後の大きな復讐劇に繋がっている点を人生の教訓として覚えておかねばならないだろう。
以降、ダンテスは14年の長きに渡り牢屋で過ごすことになるのだが、そこで同じく無実の罪で牢屋に収監されているファリア司祭と出会う。
自分よりはるかに年齢が上で体力も劣るであろうファリア司祭の姿勢に、ダンテスは自らを反省する。
人から陥れられた結果としての逆境とはいえ、逆境時に人はいかにあるべきかを学ばされる。
ダンテスの復讐劇は島を運良く脱出し、この時に司祭から教えてもらったモンテ・クリスト島で莫大な黄金を手に入れた時から始まる。
以降、読者は牢獄島を出て自由の身になったダンテスの視点と、そこから派生する感情をそのまま自分の感情に重ねてしまうことになるだろう。
その一つは、世の中がいかに不条理であるかという点だ。
例えば、ダンテスを陥れた3人がその後要領よく金銭的にも社会的にも成功を得ていて、一方では昔ダンテスが働いていた船のオーナーは善良で立派な人だったにも関わらず、運悪く社会的窮地に陥っているのだ。
平たく言えば「悪人が栄え」「善人が不幸に」なっているのである。
ダンテス(以降モンテ・クリスト伯)ならずとも、このような理不尽な状況を見れば、自分が手にした黄金で、神に成り代わり何らかの手を下したくなるのではないだろうか。
モンテ・クリスト伯は実際に神に成り代わったつもりで、復讐劇を実行していく。
ただこの物語を単なる復讐劇とだけ見て、そのプロセスのみ楽しんで(?)欲しいというだけの小説ではないということは、読み進めていくにつれて気がつかされるのである。
モンテ・クリスト伯からすれば、14年間無実の罪で投獄されて婚約者まで失った苦しみと、同じだけの苦しみをダングラール等3人に味合わせてやりたいと思うのは当然である。
だが実際にその復讐の場面とその凄惨さを順番に見せつけられるにつれて、読者は別の感情が少しずて湧いてくるのに気づくだろう。そしてその感情は、主人公のモンテ・クリスト伯の心の内にも湧いてくるものなのである。
「目には眼を、歯には歯を」という考えは果たしてこれを正当だとして冷徹に復讐し続けられるものなのかを作者は問うているのだ。
モンテ・クリスト伯は復讐を果たす過程で、ある登場人物の言葉をきっかけに、復讐の正当性と「許し」を考えさせられることになるのだが、その場面こそ作者がこの物語で描きたかったテーマの一つなのである。
また、この物語は「悪人が栄え」「善人が不幸に」なってしまう世の中の不条理を、モンテ・クリスト伯が莫大なお金の力で、自分の思い通りにコントロールしていくのだが、「お金の力」がこの世界ではいかに強いかを嫌でも見せられるので、読者はやるせない気持ちになるかもしれない。
だが作者はそれに対しても答えを用意しているのである。物語の終盤あらかた復讐を済ませたモンテ・クリスト伯は、幸福感で満たされたかというと、必ずしもそうではない。
モンテ・クリスト伯はある計画を通して、「人間にとっての幸福」という本源的な問いに答えを出そうとするのである。
それこそ作者がこの物語で扱いたかったもう一つのテーマなのだ。
「許し」と「幸福」がこの復讐劇の隠されたテーマであり、人間にとってこの普遍的なテーマがあるからこそ「モンテ・クリスト伯」は単なるエンタメ小説とは言えず、長く読み継がれる古典文学の位置づけを与えられているのである。